庭の隅に大きな松の木があり、その根元に武器庫がある。
子供の頃、作ったそれを「ぶきこ」とボクは名付けていた。
まだ、漢字を知らなかったのだ。
ぶきこは、子供の頃に揃えた武器がそのままの状態で残っている。
ゴムのぱちんこ。
アカシアの木を削った刀。
竹で作った弓矢。
手裏剣代わりの硬い松ぼっくりもある。
ボクは、アカシアの刀を中段に構えて考える。
ボクは葉隠れ武士なり。
「世に教訓する人は多し」
「されど、教訓を悦ぶ人は少なし」
「ましてや、教訓に従う人は稀なり」
その通りだなぁ。
現代にもいるぞ、そんな輩が・・・。
大体、年上の面をして、人間の良し悪しを意見するのは簡単だ。
しかし、それは時に相手に恥をかかせる悪口と、なんら変わらないのだ。
たんなる暇つぶしだ。
人に意見を言う時は、相手が受け入れる心があるか否か、見極める洞察力が必要なのだ。
それが出来ねえ奴は、教訓なんか垂れるんじゃねぇ!
説教したくても、見逃してやったり、聞き逃してやる事が大事なのだよ。
「分かるかい!」
いつの間にか、子供の頃のボクが、刀を構えて言った。
「うん、分かった、分かった」
実は、ボクもしばしば教訓やら説教を垂れるんだよね。
しゃがみ込んで、武器庫を見ると、土蜘蛛が沢山砂の中に巣を作っている。
よし、こいつらを捕まえて、戦争ごっこをしようかな・・・。
(懐かしい武器庫だ。実家の庭ではあったが、大きな松の木の後ろはボクの隠れ家だった。嫌なことや悲しいことがあると、そこへ隠れて独り遊びをしていた。
ボクは空想しながら、独りで遊ぶのが大好きな子供だったのだ。)