河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

エロティシズム…見えざるものへの崇高な好奇

ここは何処だろう?

広すぎる草原の中・・・

いや、背よりも高い叢(草むら)の中だ。

その中を歩いていると、甘美なかほりに気が遠くへ行きかける・・・

なんども・・・

最後の叢をかき分けると、そこはプールサイド?

いや、女性だけの秘密のクラブの水浴場のようだ。

岸辺では、黒髪の乙女が全裸の姿態を鏡に映している。

水辺では、金髪の裸婦が挙げた両腕を頭の後ろに組んでいる。

他にも金髪の裸婦たちが、想い思いのポーズで佇んでいる。

その顔はどれも、高貴さが漂い、決して興味を誘うようなものではない。

ツンと上を向いた乳房に輝きさえ感じる。

シュールな画家、ポール・デルヴォーが描く「水辺の少女」そのもののようだ。

ふと、気がついた。

全裸の女性たちの丸い丘には一様に、叢がないことを・・・

どの下腹部も、美麗な曲線で覆われ、叢も谷間もないのだ。

ボクの目の前の彼女たちが、なぜ好奇な美しさに満ちているのかが分かった。

見えざるものへの、崇高なる好奇心・・・

これこそが、エロティシズムの極致だ。

彼女たちの神々しい輝き・・・

ボクたちの神とは、このような存在なのだろう。

「うみやまあひだ」

ボクたちには、素敵な神々がいるんだなぁ。

目をあけたら、ドーンパープルの素晴らしい朝が見えた。

(現代の映像・雑誌のセックスの氾濫は、グロティシズムに他ならない。

小説、絵画、写真、雑誌記事…溢れかえるグロな世界の特集。煽情的なセックスの

誘惑に惑わされるのは、やめたいね。)