河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

たまくらの甘き生活

いにしえの人々が一番安らぐのは家の生活
だから、家の対義語は旅なのです
現代では旅の方が安らぐ人もいるけれど
古代、旅に出るのは、辛い行為であり
大きな決意が必要でした
日本人は農耕民族だったので、皆で群がって生活しました
そのむらがる集団が『むら・村』です
しかし、防人などに選ばれてしまうと
地獄のような旅に行かなければならない
辛く悲しいものを旅と言いましたが
その旅の語源は未だにわかってはいません
歴史学や言語学なんて、その程度のもの
英語でもトラベルtravelはトラブルtrouble
が語源なんです
ところで旅のことを、草枕と言います
ボクはこの草枕が大好きです
人生のフィナーレは草枕がいい
この草枕の対義語は、たまくらです
手枕のことです
手をお互いに、さし交えるので
たまくらは共寝の相手が必要です
最も安らいで眠れるのが、たまくら
ところで、岩の枕もあります
いにしえの男は高い山の岩を枕に死ぬことを考えていた
岩を枕とは死ぬ時のことだったのです
手枕たまくら
草枕
岩枕
ボクはまだ、たまくらがいいかなぁ(笑)

(腕枕は一人寝です。自分の腕を畳んで枕にします。もうひとつ、至極のひざ枕ってのも、かつてはあったけど、現代では男にとって夢のまた夢だよね(笑))

遊びをせんとや生まれけむ

意識をなくした虚ろな状態
トランスフォーマー
この空っぽな恍惚の時を
古代の人は『あそ』と言い
このあそになる為の行為として楽器を使う
この事を『あそぶ』と言った
ボクは誰はばかることなく、遊び人です
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
梁塵秘抄の一節のまんまです
人生そのものが遊びです
でも、人生の遊びはハンドルと同じ
ハンドルの遊びは必要不可欠ではないが
余裕やゆとりは大事です
これこそが遊びです
遊びこそ人間の本質だとさえ思っています
だから、遊び半分が大嫌い
今、大変な災害に見舞われている熊本の阿蘇地方
この阿蘇も、火山灰地の大平原が空漠と広がる姿から『あそ』と名付けられたのです
まぁ、現代のこの国は遊ぶことに罪悪感さえあります
日本本来の伝統文化である遊びの精神がほろびゆかないことを祈りたいね♪

(因みに『あそ』と『うそ』は同じ語源。
うそとはぼんやりした中身のない話であって『いつわり』とは違う。最近はうそ、いつわりも同じような意味になっちゃったけど。)

熱き愛の記憶

身体に刻み込まれるエロスの感触
消しがたい記憶としてのエロスの薫り
エロスは言葉のイメージで伝承される
北の蛍の阿久 悠
みだれ髪の与謝野晶子
三十六歌仙の和泉式部
時代は巡り巡っても
エロスの魂は風のように伝わる
恋人が去っても身に染み込んだ熱き血潮
愛した人はすでに独りの身体ではない
愛する人が入り込み習慣さえ刻み込まれている
時代を越えた作家たちの魂の呟きが聞こえる
例えば北の蛍の阿久 悠は
もしも私が死んだなら
胸の乳房を突き破り
赤い蛍が翔ぶでしょうと歌う
例えばみだれ髪の与謝野晶子は
柔肌の 熱き血潮に 触れもみで
悲しからずや 道を説く君と謳う
例えば平安歌人の和泉式部は
もの想えば 沢の蛍も わが身より
あくがれいづる 魂かとぞ見ると語る
私の身体のみが、あなたの記憶をとどめた
形見です
翔んでいる蛍は私の身体からふらふらと抜け出した熱い魂と叫んでいる
染み込んだ身体の奥の鮮烈な愛の記憶
それがエロスと知る
春の夜更けの浅き夢の間に間に

(なま暖かな春の宵。春宵一刻値千金
確かにボクの胸にも様々な想いが去来して眠るのが惜しいひとときだった。さて、今宵も楽しみだ。)

好きになることに理由はいらない

カーレディオからビーチ・ボーイズが
海♪ 夏 ♪車 ♪女の子♪
一気に湘南ボーイのあの日に戻ってしまう
大切なものの為に身を捧げつくす純粋さ
運命の生け贄になることすら望んだ愛
まるでシェークスピアの世界観
頭で考えていては表現なんかできない
対立の恐怖さえ越えて愛に殉教した
若さゆえの悲劇もあった
人の存在そのものが哀しく切ないと知った
湘南ボーイなんて下衆の極みだ
でも、ゲスで良かったゲスが良かった
ゲスだから思うように生き抜いてきた
野生の獣にも似たゲスのエナジー
求めて止まない自分だけの異装
争いが絶えない地上でも楽しく生きている
多くの人々と言葉と心を重ね合える
ボクはこれからも下衆で生きてやる
未学を軽んぜず
下衆を侮らず
幸田露伴 『五重塔』より
(戦後の日本人はゲスで生き抜いてきた。
そしてまた世界で勝ち上がった。あのゲスのエナジーはどこへいった?
お利口さんばかりの世の中なんて詰まらない。)

リアリティの儚さを

希望と夢と幻想が同じ言葉だと知った時
この胸に去来するリアリティ
自分の存在のやりきれない貧しさ
夢の儚さ
リアリティの脆さ
活断層の上のピエロ
二千の断層に生き残るリアリティ
それぞれの時代のシルエット
自分を支える価値観を問う
それは自身のふるさとに他ならない
室生犀星に逆らう気はないが
ふるさとは遠くにありて思うものでもなく
悲しく歌うものでもない
海を渡って寄せる南風
潮の香の切ないほどの湿度
甘じょっぱい味は潮か涙か
古い絵葉書のようなセピアの島影
寄せては返す片瀬波
波の際で遊ぶ小さなローリングストーン
気圧の中をすり抜けるスリル
みんなみんなみんな
多様なイメージの乱反射
ロックンロールのような風と波の音は
悲しみを陽気に叫ぶ歌なのか
(大自然の営みへの畏敬と恐怖。ボクたちが自然界の一員に過ぎないことを想い知らされた。ふるさとに帰りたい。帰ろう。
なぜだかそう想う。)

人間万事 塞翁が馬

近頃、若者たちと接していると
つくづく感じることがある
実にネガティブ シンキングなのだ
行動に移す前から結論を考えてしまう
そして、手もつけることなく挫折
しかし、時代は即アクションを求めている
ネガティブに考えたたずんでいてはダメだ
まずやってみる
結果など、後からついてくるものだ
このオンラインの現代だからこそ
昔の故事に学ぶことを勧める
例えば、ポジティブ シンキング
ボクは全てをポジティブにしか考えない
ネガティブな思考はない
人間万事 塞翁が馬
この故事が大好きだ
ある時、老人が飼っていた馬が逃げてしまった。がっかりしてると、
数ヵ月後に名馬を連れて戻ってきた
ところが、その名馬にのった息子が落馬して足を折ってしまった
老人ががっかりしてると
ある日、軍隊がやって来て村の青年たちを皆、戦争に連れていった
そして、青年たちは死んだ
しかし、足を折った老人の息子は戦争に行かずに助かった
人間万事 塞翁が馬
未来は、明日のことさえ予測が不可能
明日の大地震を専門家さえ予測できない
だから、いまおきたことに一喜一憂しても仕方がない
良い方にいくはずだと、ポジティブに考えればいいのだ
このくらいのタフなメンタリティが
この時代には必要なのだ
(ボクは本職の傍ら、学校で若者たちに教えている。それはこの事だ。ネガティブになるな。ポジティブにいこうぜ!ブラボー♪)

旅人の愛した寂しさ

寂しさを愛したことがありますか?
魂を奪われるような旅に出たい
そこに何かがあると思うから
そして幾歳月
人生の旅を続けてきた
気がついている
ボクは寂しさから逃れるために旅をしているのか
若山牧水は言う
幾山河 越え去りゆけば 寂しさの
終てなむ国ぞ 今日も旅ゆく
どれ程の山河を越えれば
寂しさが果てる国へ行けるのか
そして、やがてわかる
旅人は寂しさを愛したことを
青春時代は特にほとばしる生命力と共に
寂しさを強く感じる
寂しさが嫌いな訳じゃない
寂しさを味わう一人の時間の静かさ
深々と降る細雪の風情にも似て
心が休まることもあるのだ
この独りの時間こそ自分と向き合う
至福のひとときなのだ
青春の寂しさは、そっと愛すればいい
青春に色があるなら白だ
白はなにものにも染まらない
凛とした白の悲しみと美しさが好きだ
白鳥は 悲しからずや 空の青
海の碧にも 染まず漂う
(森の木立の中にたたずみ、池の畔に座し、海辺に:草枕する人々がいる。みんな寂しさを愛している人々だ。その姿に侘しさはない。凛とした逞しさで白く輝いている)