突然、スケジュールが空いたので旅行に参加することに・・・
仲間たちは、すでに現地に行っている。
ボクはタクシーに飛び乗った。
しかし、考えたら行く場所が分からない。
聞いていなかったのだ。
運転手さんが親切な人で、調べてくれた。
行く先の旅館は分かったが、満員でボクひとりの追加は無理だそうだ。
無断で忍びこんでもと考えたが、運転手さんが駄目だと言うのだ。
かなりの、堅ぶつなのだ。
そして、別の旅館を予約してくれた。
そこは、山間のひなびた旅館街・・・
白色燈の裸電球が並び、祭りに繰り出した人々の熱気で霞んで見える。
浴衣を着た人々が三味線を弾き、歌を唄い、踊っている。
八尾の風の盆とも違うのだが、心に沁みわたる風情がある。
ボクの身体は一瞬にして、その山間の街に溶け込んでしまった。
「時は過ぎねど、秋小花、愛の盛りと、今を散るらん」
和服に菅笠の乙女が唄っている。
即興のその言葉に、お囃子が合わせ、踊り手が加わる。
これこそが、本当の歌だと思う。
魂が揺さぶられる。
心の琴線が共鳴する。
歌は本来、こうして生まれるものなのだ。
決して、他人が想像で創るものではない。
ましてや、作詞、作曲の職人が、工場でヒット製品を造るのは間違っている。
昨今の歌の衰退は、これが原因だろう。
歌は売り物という考え方は違う。
人々が、なんとなくの違和感を気付き始めたのだ。
歌は自然に唇から、生まれてくるもの・・・
そして、風に乗って空から翔んでくるもの・・・
山間の風の街は、静かに静かに歌声と共にフェードアウトしていった。
(確かにボクもジャスラックの会員として、昨今の急激な歌の衰退を考える時がある。本来はアートであるべき歌を産業にしてしまったところに、この国の音楽界の間違いがあるのだろう。もっと、心で生れた歌を大空に飛翔させて、人々に伝えたい・・・本当にそう思うのだ。)