河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

歌は生れて来るもの、空を翔ぶもの・・・売り物ではない!

突然、スケジュールが空いたので旅行に参加することに・・・

仲間たちは、すでに現地に行っている。

ボクはタクシーに飛び乗った。

しかし、考えたら行く場所が分からない。

聞いていなかったのだ。

運転手さんが親切な人で、調べてくれた。

行く先の旅館は分かったが、満員でボクひとりの追加は無理だそうだ。

無断で忍びこんでもと考えたが、運転手さんが駄目だと言うのだ。

かなりの、堅ぶつなのだ。

そして、別の旅館を予約してくれた。

そこは、山間のひなびた旅館街・・・

白色燈の裸電球が並び、祭りに繰り出した人々の熱気で霞んで見える。

浴衣を着た人々が三味線を弾き、歌を唄い、踊っている。

八尾の風の盆とも違うのだが、心に沁みわたる風情がある。

ボクの身体は一瞬にして、その山間の街に溶け込んでしまった。

「時は過ぎねど、秋小花、愛の盛りと、今を散るらん」

和服に菅笠の乙女が唄っている。

即興のその言葉に、お囃子が合わせ、踊り手が加わる。

これこそが、本当の歌だと思う。

魂が揺さぶられる。

心の琴線が共鳴する。

歌は本来、こうして生まれるものなのだ。

決して、他人が想像で創るものではない。

ましてや、作詞、作曲の職人が、工場でヒット製品を造るのは間違っている。

昨今の歌の衰退は、これが原因だろう。

歌は売り物という考え方は違う。

人々が、なんとなくの違和感を気付き始めたのだ。

歌は自然に唇から、生まれてくるもの・・・

そして、風に乗って空から翔んでくるもの・・・

山間の風の街は、静かに静かに歌声と共にフェードアウトしていった。

(確かにボクもジャスラックの会員として、昨今の急激な歌の衰退を考える時がある。本来はアートであるべき歌を産業にしてしまったところに、この国の音楽界の間違いがあるのだろう。もっと、心で生れた歌を大空に飛翔させて、人々に伝えたい・・・本当にそう思うのだ。)