河村シゲルの夢か現か日記

夢は自分自身で創る芸術作品、脚本・演出・セット・キャスティングなど全て1人で担当してます。「無意識の思考を意識に伝えようとしているのが夢」だと、あのフロイトが言っています。ボクは最近、夢を毎日見ています。だからもう一人の自分探しの旅のつもりで夢日記を書き続けることにしました。

極楽とは…肉体的快楽である。

梨の木と、小さな野原と松林が、ボクの大きな世界だった。

今、再び、その梨の木に登っている。

小糠雨が頬を伝う。

大人になって、矛盾だらけの世間に塗れている。

まかり通る、非常識にも柔軟になった。

耳元の雨音に、時の流れを重ねてみる。

彼方に見える、我が家の台所・・・

そこに居る母は、ボクより年下になった。

木々の葉から、風に飛び散る雨。

「ある時は ありのすさびに 憎かりき なくてぞ人は 恋しかりける」

そんなメモを手渡して、消えて行った少女。

風狂な男の胸にも、一瞬の純情が去来する。

非道い男は、ある時から極楽を求めた。

そして今。極楽とは肉体的快楽であり、精神的なものではないことを知った。

金や地位、権力には反作用としてのストレス、リスクが付き纏う。

反精神的な快楽なのだ。

決して、極楽とは言えない。

ボクの極楽は、この梨の木に登って、風に吹かれるだけでいい。

もし、贅沢が許されるならサウナバスにゆっくり入り、火照った身体で水風呂に飛び込む、あの快感がたまにあればいい。

人生の極楽って、そんなものがいい。

(一炊の夢・・・シャボン玉のように一瞬通りすぎた映像だった。昨夜はその他に、

駅弁とか切符の予約とかボクシングなど、数本の夢を見た記憶が微かにあるが、やはり、この夢だけが鮮烈に朝まで残っていた。あの梨の木は、子供の頃、家の近所に実際にあったものだ。3本あって、ボクの木のぼりの遊び相手だった。)