梨の木と、小さな野原と松林が、ボクの大きな世界だった。
今、再び、その梨の木に登っている。
小糠雨が頬を伝う。
大人になって、矛盾だらけの世間に塗れている。
まかり通る、非常識にも柔軟になった。
耳元の雨音に、時の流れを重ねてみる。
彼方に見える、我が家の台所・・・
そこに居る母は、ボクより年下になった。
木々の葉から、風に飛び散る雨。
「ある時は ありのすさびに 憎かりき なくてぞ人は 恋しかりける」
そんなメモを手渡して、消えて行った少女。
風狂な男の胸にも、一瞬の純情が去来する。
非道い男は、ある時から極楽を求めた。
そして今。極楽とは肉体的快楽であり、精神的なものではないことを知った。
金や地位、権力には反作用としてのストレス、リスクが付き纏う。
反精神的な快楽なのだ。
決して、極楽とは言えない。
ボクの極楽は、この梨の木に登って、風に吹かれるだけでいい。
もし、贅沢が許されるならサウナバスにゆっくり入り、火照った身体で水風呂に飛び込む、あの快感がたまにあればいい。
人生の極楽って、そんなものがいい。
(一炊の夢・・・シャボン玉のように一瞬通りすぎた映像だった。昨夜はその他に、
駅弁とか切符の予約とかボクシングなど、数本の夢を見た記憶が微かにあるが、やはり、この夢だけが鮮烈に朝まで残っていた。あの梨の木は、子供の頃、家の近所に実際にあったものだ。3本あって、ボクの木のぼりの遊び相手だった。)