何かが、ボクの傍らをすり抜けて行く。
子供時代から、時折それを感じていた。
そんな感覚包まれた時は、決まって寂しさと切なさと焦燥感に襲われる。
だから、そんな時、ボクは走った。
走って、すり抜けて行ったものに追い付き、追い越してきた。
でも、追い付けないものも、沢山あった。
それは、大人になってからも同じだ。
その、ボクの傍らをすり抜け、追い越して行くものが、「時」だということが、
ある日、分かった。
そして、今でも・・・。
時に追い越され、そこに残るものがある。
それは、ノスタルジーという時の化石だ。
想い出と言う、時の絵画だ。
ボクは、想う。
まだ、化石や絵画のコレクターにはなりたくはないと・・・。
月日に関守りなしと言う。
関所を設けても、時と言う名の月日は、傍らをすり抜けて行く。
月日は百代の過客だと、松尾芭蕉も呟いていた。
恋人たちの傍らさえ、時は二人を追い越して行く。
そして、ブロークンハート・・・
追い越して行った時を引き戻したいと思う刹那だ。
でも、その願望は大抵、叶うことはない。
またひとつ、ボクの後ろから時が迫って来た。
お前さんには抜かれないよ。
ボクは走りだす。
(将に邯鄲{かんたん}の夢だった。月日は太陽と月・・・。そこに時が生れている。ボクたちは、その時の流れに生きている。上手く時の流れに乗らないと、次々と追い越されてしまうのだ。)